FSN
home
aboutus
fu-san
iso22000
book
フーサン便り・第80号
フーサン便り目次

入会案内
安全相談
スケジュール
会長ブログ
お問合せ先
サイトマップ
タイトル
(有)食品衛生研究会 取締役
食品安全ネットワーク 幹事 近藤 武志
photo
 本年5月2日米虫節夫近畿大学教授の退職記念祝賀会が大阪梅田のホテルグランヴィアで開催され、約300名がお祝いに駆けつけた。「微生物制御45年」の講演と奥様、ご子息たちも交えての祝賀パーティーは盛大かつ華やかに行われた。その出席者は卒業生を含む大学関係者から品質管理、日本防菌防黴学会(学会、以下略称)、食品安全ネットワーク(フーサン)、PCO、製薬企業,品質管理学会,日本ブドウ・ワイン学会、バーテンダー協会等々多岐にわたり、交友の広さを物語っていた。
 米虫先生との出会いは、田辺製薬(現田辺三菱製薬)を早期退職した1999年に遡る。学会の3つ目の研究部会「食品微生物制御システム研究部会」(食微研、のち微制研)の発足時に会社の先輩上田 修氏に誘われて米虫部会長の下で事務担当として関わったことに始まり、約7年間お世話になった。その後、縁あって学会事務局において学会誌の編集に携わっている。
 今年に入って学会会長(任期本年5月31日まで)である米虫先生の業績を調べ始めたところ、研究領域の広さと多さに驚いた。その業績は学会だけでも34年間に共著を含めて論文39報、総説、解説、講座なども10報にのぼる。現在の先生とは少し違って約30年間は「研究者」であった(失礼)。そこで先生の45年を3期15年ずつに分けて整理し、その一部を紹介する。

 第1期は学者オンリーで、初の論文は1975年の「医薬品用包装フィルムの微生物汚染に関する研究」、次いで同年の総説「医薬品の微生物汚染とGMP」と医薬品の微生物汚染対策が研究分野で、これらの知見が後の食品衛生管理の分野への応用に繋がっていくのである。米虫節夫の名は薬屋に勤めていた関係で、この頃から文献では馴染みになっていた。以後、菌数計測法や滅菌の定量的考え方など複数報の論文が続き、1980年に解説「諸環境空間の殺菌消毒処理システムへのアプローチ」が発表される。これは従来の殺菌や微生物制御の対象が「物・人」であったのに対して「場」すなわち「環境空間」を対象にしたという点で独創的理論であり、その後の医薬品や食品製造の滅菌、文化財の保存、PCOなどに多大なる影響を及ぼした。これはまた上田 修氏が提唱した「トータルサニテーションとその管理システム論」の理論根拠にもなったのである。

 第2期は1996年頃までで研究から教育への移行時期である。ここでは先生が設立してPCOに大きな影響を及ぼした学会の環境殺菌工学研究部会(環工研)について紹介する。発足は1980年で3年間部会長を務められた。当時のPCOは、薬剤を散布する防鼠と防虫が中心で病院や食品工場の衛生管理の下請けに甘んじていたものを微生物制御までレベルアップさせた功績は大である。しかしその成果が在任期間後に開花したため、忸怩たる思いが未だ続いているようであるが、功績は不滅であり、その貢献度は色褪せるものではない。本部会は現在残念ながら休会中であるが、会員の一部はフーサンに活動の場を移して活躍中である。

 第3期は教育と啓蒙の時期で「地中で30年間じっくり根を張ってやっと大木となり、天に向かって伸びてきた」とでも言おうか、先生が輝きを増し、充実した時期である。先見性、反骨精神、バイタリティと弛まぬ努力が「食の安全・安心」の時代を背景に開花したのである。その中から「神輿に乗られた」代表的な二つを紹介する。一つはフーサンであり、1997年の発足から会長として「食の安全・安心」を先取りした活動であり、その経緯は冨島邦雄事務局長による「食品安全ネットワーク5年間の活動の軌跡」(「月刊HACCP」2002年8月号)に詳しい。先生の「食の安全」に対する先見性は高く評価されており、最近は「食品衛生7S(整理・整頓・清掃・洗浄・殺菌・・躾・清潔)」を提唱して執筆や事例報告会を通じて食品製造における衛生管理のレベルアップに力を注いでおられる。活動の詳細は「フーサン便り」やHPから知ることができる。もうひとつは食微研で1999年の発足から7年間部会長を務められた。食品分野へのHACCPシステムの導入に際して発生する様々な問題点を取り上げ、それをISO9000の一環として捉えた総合的微生物制御システムは、のちにISO22000へと繋がっていった。現在も内籐茂三部会長(愛知学泉短大)のもとで活動中であり、詳細は学会誌を参照されたい。

 「神輿(籠)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」の諺のごとく、神輿に乗るのは結構むずかしく、乗ると往々にして自分が偉くなったような錯角に陥るものらしい(経験がないのでよくわからない)が、先生はその点偉そうな素振りも見せず、上手に乗っておられたが、実際にはあれこれと指示したい思いを「ジッと!」我慢しておられた。また見かけによらず「気配り」名人でもある(失礼)。神輿に上手に乗るには、努力のほか人徳も不可欠であり、また担ぎ手も上手に乗せるよう努力しなければならい。神輿に乗るコツは、「奢らず謙虚に、そして我慢!」であるそうで、諺のごとくすべてが整って初めて祭りが成り立つように、ひとりでは何も始められないのは世界共通である。そこに人と人とが繋がり、お互いに尊敬し、信頼することによって成し得るのである。
他に活躍の場としては執筆と講演がある。執筆活動はフーサンを拠点にそのメンバーとの共著や編著が多く、日経品質管理文献賞を受賞した「HACCP実践講座 全3巻」や「ISO22000のための食品衛生7S実践講座 全3巻」のほか8冊にのぼり、まだまだ新しい企画が湧き出しているようである。一方、講演会に至っては多すぎて演題内容を含めて残念ながら把握できなかった。
 先生とは同世代で1960年安保闘争を体験しており、当時の学生の一部はその挫折から方向転換して中央官庁や大学へと潜伏してその思いを繋いでいった。先生もそんなひとりだったのか、常に「お上」に対して正論ではあるが批判的であった。一例は日本版HACCPである総合衛生管理総合過程にマネジメントシステムが欠落しているのを指摘し、当時の厚生省を、また各都道府県の衛生監視員を敵に回して正論を展開しての奮戦は記憶に新しい。最終的にはISO22000の発効により事実上勝利するのであるが、未だ憤懣やる方ない思いが抜けないようである。
 おわりに45年間ほんとうにお疲れ様でした。これはゴールではなく、大阪市立大学大学院工学研究科客員教授として新たに抗菌金属などの分野にも活動範囲を広げて再スタートされた。一方、フーサン会長としてISO22000研究会を発展させた「米虫塾」を拠点に食品衛生管理の啓蒙と次世代を担う人材の育成のため、またわが国の食品衛生のリーダーとして頑張って頂きたいと願うこと切である。

▲このページのトップへ戻る